独逸万国霊泉博覧会とは?

長野県小谷温泉山田旅館に「内務省御選抜 独逸萬国霊泉博覧会出泉」という明治時代から伝わる看板があるという

写真出典:いつきさん

この「独逸萬国霊泉博覧会」というイベントは何であったのか?

レファンレンス共同データベースに下記の先行調査がある
2014年「独逸万国”霊泉”博覧会の記述のある資料、情報を探しています
2016年「【湯涌温泉について】  湯涌温泉観光協会ホームページに、湯涌の水が「大正初のドイツで開かれた万国鉱泉博覧会に日本の名湯として出展」とあり、また、何かの賞(一等、金賞)を取ったと聞いた事があるが、この根拠となる資料が見たい。(世界三大鉱泉なども)

国立国会図書館デジタルコレクションで検索した結果と先行調査を見比べた結果、おそらく以下であると想定される。

「萬国霊泉博覧会」は間違いで、正しくは明治14年(1881年)にドイツ フランクフルト市で開催された「萬國鑛泉博覽會」。

東京医学校(現 東大医学部)に招聘されたドイツ人医師 ベルツ氏は、明治12年(1879年)に「日本温泉浴案内」、明治13年(1880年)「日本鉱泉論」という本を出版するぐらいの温泉について一家言があり、鉱泉に関する論文も出していた。

ヘルツ氏の論文や成分分析調査資料などを活用して、明治14年(1881年)の ドイツ フランクフルトで開催された万国鉱泉博覧会に出品した。

また、この際に使用した資料を利用し、明治19年(1886年)に「日本鉱泉誌 上巻」「日本鉱泉誌 中巻」「日本鉱泉誌 下巻」が発行された。

万国鉱泉博覧会では、何らかのPRIZEが設定されていたようだが、詳細は不明

以下の温泉については出品した、とする書籍があった。

京都府 大日本山城稲竈天然炭酸泉(現 笠置温泉): 好評を受け
長野県 小谷温泉: 出品し
石川県 山代温泉: 出品して優等の推賞を受け大いに名誉を博した
石川県 和倉温泉: 世界第三等の鉱泉であるとの審査成績を得賞賛された
石川県 湯桶温泉: 出品して日本三鉱泉の一に数えられて以来
石川県 狼煙鉱泉(現 禄剛崎温泉): 出品したこともある

また、小谷溫泉には「明治42年(1909年)に内務省が特選」して「万国鉱泉博覧会に出品」という記述もあるが、明治25年の書籍に「明治17年の交独逸国霊泉博覧会」とあるので「内務省が特選」があとが正しいと思われる。


疑問点まとめ

石川県の温泉4つで関連する記載がある。

1933年発行の「石川県に於ける温泉の研究」に下記記載があるが湯桶温泉だけ年代が書いてない
山代温泉: 明治13年には独逸国の万国鉱泉博覧会に出品して優等の推賞を受け大いに名誉を博した
和倉温泉: 明治13年独逸国において万国鉱泉博覧会<略>世界第三等の鉱泉であるとの審査成績を得賞賛された
狼煙鉱泉(現 禄剛崎温泉): 明治13年独逸の万国鉱泉博覧会に出品したこともある
湯桶温泉: 独逸の万国鉱泉博覧会に出品して日本三鉱泉の一に数えられて以来

実際、2024年現在湯桶温泉の自称は「大正初のドイツで開かれた万国鉱泉博覧会」と明治13年ではないらしい。ただ、この大正初めの万国鉱泉博覧会に該当するイベントが見当たらない
また、「日本三鉱泉」という割に他2つについて自称しているところがない。

和倉温泉は「明治13年の万国鉱泉博覧会で世界第三等」としているが、明治29年の和倉温泉紹介で「萬國衛生博覽會 で 世界第三等」と別のイベント名が確認できる。
また明治32年の和倉温泉紹介で「明治16年独逸国博物館において分析試験し、萬國第三等の名誉を得たるはこれなり」と明治16年説もあったりする

明治14年にドイツフランクフルトで開催された万国鉱泉博覧会については資料があるが、明治13年にあった、というものは石川県3温泉の自称以外に出典が見つけられない

長野県 小谷温泉 は明治25年出版書籍で「明治17年の交独逸国霊泉博覧会に出品」とするが、該当するイベントは小谷温泉の自称以外に見当たらない


以下、調査した詳細


商標的な万国博覧会ではない

第1部 1900年までに開催された博覧会 博覧会一覧(年表)には該当するものがない

1970年発行「日本博覧会史」の「世界における博覧会開催年表」を確認すると後述の博覧会を含めて下記の博覧会が確認できる。

・明治13年 1880年4月~(終了日未記載) ドイツ ベルリン万国漁業博覧会 (日本政府参加,漁業に関する展示)
・明治14年 1881年5月~10月 ドイツ フランクフルト鉱泉学博覧会 (日本政府参加,出展内容の記述無し)
・明治17年 1884年5月~(終了日未記載) イギリス ロンドン万国衛生博覧会 (日本政府が参加)
・明治44年 1911年5月~10月 ドイツ ドレスデン万国衛生博覧会 (日本政府と民間が参加,陸軍海軍も参加)

終了日未記載のものは、他の博覧会日程と比較する限りでは、3ヶ月か6ヶ月の開催と思われる

日本が出展することになった立役者は ベルツ氏?

記述をみていくと、医師 ベルツ氏がイベントに関連しているのか?と思われる記述がある

明治43年発行の「日本転地療養誌 : 一名・浴泉案内」の93ページからの「鑛泉療法の誘導編」の注釈に「鑛泉の化学」という注釈があり、博覧会出展のきっかけがベルツ氏というものがある。

聞くところによれば、当時の我御教師ベルツ氏の首唱により萬國鑛泉博覽會への出品のためさしめしものなりと

また、明治21年の現在の笠置温泉 にあたる 山城稲竈天然炭酸泉 の広告にもベルツ氏が登場している。

大日本山城稲竈天然炭酸泉
医学大学教師 ドクトルベルツ氏賞賛

この天然炭酸泉は明治10年内国勧業博覧会の京都博覧会で賞杯を受け、13年独逸国において萬國鑛泉博覽會で好評を受け

中外医事新報 (197) 56ページより (1888年6月)

で・・・ベルツ氏、というのは、東京医学校(現 東大医学部)の内科学教授 で、明治13年に「日本鉱泉論」を発行し、温泉の改革・・・具体的には伊香保温泉の改革を行った人である。詳細は「伊香保誌 ベルツ博士と伊香保」を参照

臨床科学 22(1)(346)(1986年1月)の115ページ「鉱泉分析」では「明治14年(1881)ドイツ フランクフルトで開催の万国鉱泉博覧会出品の日本側資料は ベールツの成分分析調査資料が活用された。それをもとに集大成したのが日本鉱泉誌(明治19年刊)である」とある(この紹介では、最初長崎に赴任し横浜などの司薬場勤務のオランダ人ヘールツ/ゲールツ氏が、鉱泉分析におけるドイツ人ベルツ氏と同一であると混同している)

明治13年、明治14年と明治17年の3種類がある模様

ドイツで開催された温泉に関する博覧会の記述を探していくと、明治13年、明治14年、明治17年の3種類が出てきた。

小谷温泉は明治17年説を取る

小谷温泉が出たのは明治17年の独逸萬国霊泉博覧会 であるとしている。

元湯の外国博覧会出品
明治17年の交独逸国霊泉博覧会 より我が政府に出品を依頼せしに政府は各県知事に命じて良鉱泉の指定井にこれが出品をなさしめたり、本泉は長野4泉中に編入され北安曇郡役所を経て該会へ回送せり

小谷鉱泉記 19ページ(明治25年出版)より

ただ、一時期は「1893(明治26)年、ドイツで開催された万国霊泉博覧会に別府・草津・登別の各温泉とともに内務省により選抜・出泉され(出典)」などとしていた時代もあるようだ。

官報ベースだと明治14年

官報によると明治14年(1881年)の万国鉱泉博覧会 はベルリンで開催されたと読めるのだが、明治19年に刊行された日本鉱泉誌では、明治14年にフランクフルトで開催された万国鉱泉博覧会 のための資料を基にしている、と書かれている

●鉱泉博覧会
さる明治14年中独逸国伯林府より万国鉱泉博覧会の挙ありしがその際我が内務省衛生局より全国の鉱泉井より諸表の温泉場写真などを出品せしうるがこのたび同国より優などの賞杯を送られたる

中外医事新報 (82) 21ページより 明治16年(1883年)8月 (上記の引用は全文ではない)

去ル明治十四年中獨逸國伯林府萬國礦泉博覽會開設ノ際我カ內務省衛生局ヨリ全國ノ礦泉並之ニ屬スル諸表及温泉塲寫眞圖等ヲ出品セシカ此ノ程同國ヨリ優等ノ賞牌ヲ贈付シタリ(內務省報告)

官報 1883年08月03日 3ページ より

明治14年独逸国フランクフルト府の萬國鑛泉博覽會を開設せし際我が政府より全国の鉱泉

日本鉱泉誌 上巻 2ページ より

伊香保温泉は「伊香保誌 明治時代の伊香保温泉の分析と適応症(205ページ)」によれば、明治14年 フランクフルト市で 万国鉱泉博覧会 と記載。

和倉温泉は明治13年

和倉温泉では明治13年の万国鉱泉博覧会ということで広告を出していた。ただ、こちらについては開催地に関する言及が見つからなかった。

(和倉温泉の説明の中で)
明治十三年獨乙の萬國鑛泉博覽會に於て世界中第三等の地位に推され

浦潮案内 119ページ より

和倉温泉案内
和倉温泉は世界の三等泉なり

~まず、世界の三等泉であるというのは、明治13年独逸国において、萬國鑛泉博覽會が開設せられました時、同会へ出品いたしまして、和倉温泉は世界の鑛泉中の第3位に推薦されましたのです。

和倉温泉案内 (大正9年)より

現代の商標登録「和倉温泉(わくらおんせん)」の説明にも明治13年とある

明治13年のドイツ万国博覧会で「世界三等鉱泉」の栄誉に輝いております。

1933年の石川県に於ける温泉の研究 に萬國礦泉博覽會に出展した各温泉地に関する記載がある。ただし、湯桶温泉についてだけ、具体的な時期が書かれていない。

山代温泉: 明治13年には独逸国の万国鉱泉博覧会に出品して優等の推賞を受け大いに名誉を博した
和倉温泉: 明治13年独逸国において万国鉱泉博覧会<略>世界第三等の鉱泉であるとの審査成績を得賞賛された
湯桶温泉: 独逸の万国鉱泉博覧会に出品して日本三鉱泉の一に数えられて以来
狼煙鉱泉(現 禄剛崎温泉): 明治13年独逸の万国鉱泉博覧会に出品したこともある

和倉温泉の「世界第三等」は明治29年の「能登誌 初編」の「和倉」で確認できるが前後を確認すると「元湯は~独逸国に萬國衛生博覽會あり推して是泉を世界第三等に置きしかば」と万国衛生博覧会に出展したとあり謎が深まっている。

この「萬國衛生博覽會 で 世界第三等」という表記は明治31年の 七尾鉄道旅行案内記の近刊広告 にも見られるが、明治32年「北陸鉄道七尾鉄道中越鉄道案内記」が実際に発売された書籍と思われるのだがこちらの「和倉温泉」では「明治16年独逸国博物館において分析試験し、萬國第三等の名誉を得たるはこれなり」とまた違う情報が出てくる。ただ、明治14年に出展したことについて明治16年8月に日本国として賞をもらった(個別プロダクトでもらった根拠は未発見)という官報が存在しているのでそのことを指している可能性がある。

京都の 現 笠置温泉も明治13年

大日本山城稲竈天然炭酸泉
医学大学教師 ドクトルベルツ氏賞賛

この天然炭酸泉は明治10年内国勧業博覧会の京都博覧会で賞杯を受け、13年独逸国において萬國鑛泉博覽會で好評を受け

中外医事新報 (197) 56ページより (1888年6月) 山城稲竈 は現在の笠置温泉

現代の湯涌温泉は大正時代説

湯桶温泉観光協会の総湯 白鷺の湯の説明に下記のように「大正の初め」と記載。

大正の初めドイツで開かれた万国鉱 泉博覧会に当時の内務省の推薦により日本の名泉として出展、泉質の良さが認められました。

前述の昭和8年(1933年)の石川県に於ける温泉の研究 でも湯桶温泉だけ明治13年とは書いていないので、矛盾はしていない。

表記揺れ?開催場所の違い?

博覧会の名称も表記揺れがあるが、おそらくは「萬國鑛泉博覽會」が正しいものではないかと思われる。

独逸萬国霊泉博覧会 / 交独逸国霊泉博覧会

小谷温泉山田旅館にある看板の記述で、この「靈泉」という表記は 小谷温泉のものしか見当たらない

大信濃 767ページ (昭和15年) (小谷溫泉も曩に内務省の特選に入り、獨逸萬國靈泉博覽會へ本溫泉水の出品を爲し)
大信濃 1338ページ (昭和15年) (先年內務省の選拔により獨逸萬國靈泉博覽會に出品し、又昭和四年國民新聞主催の全國溫泉投票に優位を占め)

小谷鉱泉記 19ページ (明治25年) (明治17年の交独逸国霊泉博覧会 より我が政府に出品を依頼せしに)


萬國礦泉博覽會

たぶん写植ミスじゃないかなぁ、と思われるのが「礦泉」と石編の漢字を使っているもの。

官報 1883年08月03日 3ページ (萬國礦泉博覽會)

明治19年発行”法越交兵記”掲載の「日本鉱泉誌」の広告 (独逸国フランクフルト府萬國礦泉博覽會へ礦泉の出品の挙あるに際し蒐集せし)

万国鉱泉博覧会 / 萬國鑛泉博覽會

中外医事新報 (82) 21ページ (万国鉱泉博覧会)

日本鉱泉誌 上巻 2ページ (“独逸国フランクフルト府の萬國鑛泉博覽會”)

醫海時報 (811) 10ページ “回顧すれば明治14年、余がまだ卒業前の一学生であった頃、独逸の「フランクフルト、アム、マイン」に萬國鑛泉博覽會が開催された”

日本温泉案内 西部篇 150ページ 小谷温泉の説明として”明治42年内務省が本鑛泉を特選して独逸の萬國鑛泉博覽會に出品してからますますのその名声を高めた”

公衆浴場史 445ページ 1972年 “1886年 日本鉱泉誌 内務省編、独フランクフルト万国鉱泉博覧会用”

ズームイン日本 第5巻 132ページ 1984年 湯涌温泉の説明として”大正時代にはドイツで催された万国鉱泉博覧会で世界三大銘泉の1つに選ばれるなど”

大正期にも日本の温泉が出展した博覧会があった

次に刊行されたものは、いずれも官邊の編纂になる立派なものである。外国で開かれた博覧会が編纂の動機となっていることは、いずれもその揆を一にしているのである。すなわち、日本礦泉誌(1886年)はドイツのフランクフルトで催された萬國礦泉博覽會のために編纂された邦文書であり、Bade-und Lufutkurotte Japans (1911年)は、同じくドレスデン市で開かれた萬國衛生博覽會のために書かれたドイツ文書であり、 The Mineral Springs of Japan(1915年)は パナマで開かれた萬國平和博覽會のために発刊された英文書である。

温泉言志 248ページ より(昭和18年)

上記の情報を元に調べると別府温泉地球博物館「温泉化学 第3回 日本での地球科学的温泉研究のあゆみ(1)」「温泉化学 第4回 日本での地球科学的温泉研究のあゆみ(2)」が出てくるが、情報的には大して変わりはない。

明治44年(1911年) ドイツ ドレスデン市 萬國衛生博覽會について

保健彙報 (7) (1912年3月)に「三、一九一一年獨國ドレスデン萬國衞生博覽會視察記/p93~97」という視察報告があるが、鉄道院なので鉄道よりの報告内容

官報 1912年08月30日 「彙報 ドレスデン萬國衞生博覽會顚末報告(内務省)/p525

時系列が疑問な小谷温泉の記述

昭和5年の日本温泉案内 西部篇 小谷温泉の説明に以下がある。

明治42年内務省が本鉱泉を特選してドイツの萬國礦泉博覽會に出品してから、ますますその名声を高めた。

明治42年(1909年)に特選を得てから、明治14年/17年に出せるわけが無いので、上記記載はおかしい。

この時系列にあわせると、明治44年(1911年)ドイツ ドレスデン市 萬國衛生博覽會に出品したことになるが、そもそも、明治25年出版の小谷鉱泉記 19ページ で明治17年に出品したとあるので、内務省の特選をとった方があとだと思われる。
それとも、明治17年と明治44年の2回出した、ということなのか?

鉄道院・鉄道省による旅行案内書での記載

2002年の関戸明子氏「北関東における温泉地の近代化 : 温泉の利用形態と交通手段の変化」に「鉄道院・鉄道省による旅行案内書の編纂」という項目があり、明治43年「鉄道院線沿道遊覧地案内」という非売品から始まり、大正2年「鉄道沿線遊覧地案内」から市販された。また「温泉案内」という書籍が大正9年から発行された。といった記載があった。

明治42年6月 鉄道院線沿道遊覧地案内
明治43年6月 鉄道院線沿道遊覧地案内
明治44年6月 鉄道院線沿道遊覧地案内

大正3年 鉄道旅行案内(モノクロ/文字認識あり), カラー/文字認識なし
大正4年 鉄道旅行案内 [大正4年版](モノクロ/文字認識あり)
鉄道旅行案内 大正5年版
鉄道旅行案内 [大正6年版]
鉄道旅行案内 [大正7年版]
鉄道旅行案内 大正10(カラー/白羊社書店), モノクロ/文字認識あり/鉄道省
全國鐵道旅行案内 大正11年度
大正13年 鉄道旅行案内, カラー/文字認識あり/博文館
昭和5年(1930年) 鉄道旅行案内(カラー/文字認識あり/鉄道省)

上記の鉄道旅行案内では、各地の温泉地について存在は紹介しているが、どの温泉地が人気とか賞に選ばれてるとかそういう記載は基本的にしていない模様。

大正9年 温泉案内(カラー/文字認識無し),モノクロ/文字認識あり
昭和2年 温泉案内(カラー/文字認識あり/日本旅行協會)

大正9年の温泉案内において、小谷温泉和倉温泉山代温泉は交通手段と効能、付近の見所、旅館について述べているのみで、博覧会に関する言及はない

昭和2年温泉案内でも同じ。こちらには湯桶温泉の項目も追加されている。

鉄道省とは関係ない温泉案内を探すと・・・

大正6年 日本温泉案内 : 保養遊覧 附・入浴者の心得(誠文堂)
大正10年 天下の霊泉大湯温泉案内

大正6年のやつの「山代温泉」には「明治13年にドイツ国で開かれた万国衛生博覧会にて優等賞を得たるごときはまさに帝国温泉の名誉とされている」、「和倉温泉」にも「明治13年~世界第三位との評定」と記載している。

同時期の鉄道省主導のものと民間主導のものを比較すると、おそらく温泉地が自称している内容をそのまま使っているのが民間のものではないか?といった疑惑が生まれてくる。

頓原ラムネ銀泉

「明治14年にドイツで開かれた 萬国博覧会で”世界有数の銀泉なり”と賞された」としているらしい

現在の運営会社のWebにはここらへんの記述はないが、かつては掲載されていた模様。たぶん、根拠ちゃんと探したら見つからなかったので書いてないのかな?という感じを受ける。

2011年頃の記述

大繁盛だった『塩ヶ口温泉』片山家ではこの炭酸泉を利用し、明治十六年に湯治場を開きました。近郷の人々をはじめ備後国の方からも沢山の湯治客が訪れ、年中賑わうようになりました。特に土用丑の日には万病に効くとのことで、連日たくさんの湯治客がありました。そして明治二十一年には、泉源近くに、当時としては珍しい二階建ての入湯場ができました。
築庭や池を造って客を迎え、連日芸者による弦歌も聞こえて、大変な繁盛ぶりだったのだそうです。
 そして月日は流れ、現在、頓原天然炭酸温泉がこの素晴らしい炭酸泉を引き継いでおります。

明治十四年、ドイツで開かれた萬国博覧会にこの水を出品したところ、
「世界希有の銀泉なり」と賞賛され、褒賞を受賞しました。また、明治二十三年に東京で開かれた第三回 内国勧業博覧会では、有効賞を受賞しました。
明治20年頃、片山氏は『琴月堂』(きんげつどう)という会社を設立し、この炭酸水を瓶詰めにして『琴引泉』(ことびきすい)という名前で商品化し、大阪方面に出荷していました。

2013年頃の記述

ラムネ銀泉の歴史 頓原の炭酸泉には『太古の頃、大国主命が琴引山の窟で琴を弾き、近郷の人々に豊耕を教えるために麓に下りてこられたとき、岩の間から湧出ずる霊泉を発見され、自ら体を清められ、その効を教え、多くの人々が病苦から救われた』という言い伝えがあり、その源泉である塩ヶ口の炭酸泉は、古くから土地の人々に利用されてきました。 明治十三年、製鉄業などに関わる事業家であった頓原の片山茂五郎氏がこの鉱泉に注目し、当時の内務省司薬場にてこの水の分析を依頼したところ、諸病に効能があることがわかりました。 (当時の記述では「胃弱」「嘈囃呑酸(むねやけ)」などに効用があると記されています)
翌明治十四年、ドイツで開かれた萬国博覧会にこの水を出品したところ、「世界希有の銀泉なり」と賞賛され、褒賞を受賞しました。 また、明治二十三年に東京で開かれた第三回内国勧業博覧会では、有効賞を受賞しました。 その後、片山氏は『琴月堂』(きんげつどう)という会社を設立し、この炭酸泉を瓶詰めにして『琴引泉』(ことびきすい)という名前で商品化し、大阪方面に出荷していました。 明治時代の写真・右手正面は炭酸水瓶詰め工場

Webで見れる訪問記だと、”塩ケ谷鉱泉”と呼ばれていた、なんて書いてるところもあるが、”塩ヶ口温泉”が正しい模様。

新聞集成明治編年史 第6巻 歐化政治期明治19年3月25日 郵便報知による記事として下記があったが、炭酸水のことは述べているが、博覧会については述べられていない。

「ラムネ漏出」の記事
島根県下出雲国飯石郡頓原村の琴弦山に大己貴命を祀れる祠あり、その傍らに1つの鉱泉漏出す。塩ヶ口鉱泉といふ。村民未だその効能の有無を知らず、ただ神泉とのみ*しをりすが、先頃広島の人某がこの泉を汲み取り大坂司薬場の試験を請い初めて炭酸水なることを覚えし以来、村民その効能を知り、これを飲用に供し、また沐湯となす物あるに至り、近来はその近傍に旅館敷戸を設け浴客の便を謀り、またこれに水と砂糖を和し喫する時はラムネと同様にして夏期の清涼剤に妙なるをもって、本年よりは瓶詰めにして広く販売する計画のよし、その鉱泉の湧出の量は1昼夜におよそ80石なりと。

ここに出てくる「大坂司薬場の試験」というのはおそらく明治14年万国鉱泉博覧会出品のための調査であろうと思われる。

実際、その成果を利用した「日本鉱泉誌 下巻」にて「島根県 頓原鉱泉」が「炭酸泉」として掲載されている。

また、運営会社の記述にあった「片山茂五郎」で調べると明治45年「島根県産業案内」の「郡市別特産と名所旧蹟-飯石群」が出てきた

頓原の炭酸水は有名なもので頓原村鹽ケ口に湧出する霊泉から製するものである気管支加答兒慢性膓胃加答兒肺炎生殖器病風腺病等に特效がある明治5年同地の片山茂五郎なる者苦心経営して海外輸出を図り第三回内国勧業博覧会に出品して有効賞牌を下賜せられ大いに聲譽を博しベルツ博士より宇內無比との賞讃を得たものであるが交通不便かつ創立者死亡などの爲め頓挫し日下株式會社組織の計畫中である

…明治23年(1890年)に上野公園で開催された「第3回内国勧業博覧会」で賞をもらった、「ベルツ博士から賞讃もらった」とあるが、ドイツに出品したとは書いていない。

明治39年「島根県名勝誌」の「出雲国 頓原鉱泉」にもほぼ同じ記述がある。

頓原鉱泉は、頓原村鹽ケ口にあり、アルカリ性炭酸冷泉にして、気管支カタル<略>などに奇効あり。本鉱泉は、**の人、片山茂五郎が、明治5年以来、苦心惨憺して経営せしところにて、一時、泉源に浴場を設け、瓶詰め機械を据え付けて、海外輸出を図り、第三回内国勧業博覧会に出品して、ベルツ博士より宇內無比(うだいむひ)の賛語をうけ、有功賞牌を下賜せられ、大いに聲譽を博したり。その後種々の障碍にあい、茂五郎はその間に病死し、一時、事業休止中なりしが、目下*子文次郎は琴引水と称してこれを再興せんと、熱心に計画中なり。

第三回内国勧業博覧会

第三回内国勧業博覧会の褒賞の種類について「第三回内国勧業博覧会場案内」の「第十一 褒賞の種目」に記載がある

・名誉賞牌 金造
全局に冠絶し名誉を海外に輝かすに足るべき出品をなしたる者に与える
・進歩賞牌 銀造 一等~三等
発明改良などにより進歩の著しき出品をなしたる者に与える
・妙技賞牌 銅造 一等~三等
美術の卓絶なる出品をなしたる者に与える
・有巧賞牌 銅造 一等~三等
物産を増殖し販路を広めこかをを低くし、あるいは便益の機械器具を適用しまたは模造移植せしなどによりて功労ある者もしくは従来の方法によるも他に超越する出品をなしたる者に与える
・協賛賞牌 銅造 一等~三等
物品の採取考案の指示または出品の製造にあずかり協助の功ある者に与える

これを踏まえると、温泉について、第三回内国勧業博覧会で賞を得たという場合「有巧賞牌」の一等、二等、三等ということになる。

官報 1890年07月15日 の「彙報 博覽會出品審査梗槪(第三囘内國勸業博覽會事務局)」下記のように炭酸泉を瓶詰めにしたものについて言及がある

飮料ニ供用スル鑛泉モ社會衞生ノ注意ト共ニ大ニ其需要ヲ增スハ論ヲ俟タス出品中二三ノ炭酸泉ハ品位佳良ニシテ壜詰ノ器械ヲ使用シ稍々其事業ノ進歩ヲ見ル

金魚日記 2022年

散歩 2022/03/15

国立国会図書館デジタルコレクションにある鉄道など交通関連書籍のメモ

国立国会図書館デジタルコレクションにある鉄道を含む交通関連書籍のメモ

JREA 1958年~2000年 日本鉄道技術協会

JR gazette 1992年~(限定公開 交通新聞社

KSK技報 1956年~1971年 汽車製造

Mobility 1980年~1998年 運輸経済研究センター

R&M : Rolling stock & machinery 1993年~2000年 日本鉄道車両機械技術協会

朝日年鑑 1926年~ 朝日新聞社(1970年以前は見れるものが多い)

運転協会誌 1986年~2000年 日本鉄道運転協会

運輸 1951年~1970年 運輸故資更生協会

運輸公報 1949年~1973年 運輸省大臣官房

運輸要覧 1949年~ 1985年 全国と沖縄のが部分的に収録

運輸と経済 1948年~2000年 交通経済研究所

駅名の起源 昭和13年,1950年,1973年

沖電気時報 1934年~1973年 沖電気工業

外国鉄道技術情報 1958年,1959年 日本国有鉄道

外国鉄道技術情報 施設編 1959年

機械 1929年~1943年 工業雑誌

季刊輸送展望 1975年~2000年 日通総合研究所

近畿日本鉄道技術研究所技報 1969年~2000年 近鉄技術研究所

工業雑誌 1892年~1941年 工業雑誌社

工業之大日本 1904年~1932年 工業之大日本社

交通技術 1946年~1987年 交通協力会

交通と電気 1922年~1932年 電通社

交通年鑑 1947年~

国鉄線 1950年~1986年 交通協力会

国有鉄道 1949年~1986年 交通協力会

業務研究資料 1914年~1942年 鉄道大臣官房研究所

産業遺産研究 1994年~1999年 産業遺産研究編集委員会 / 中部産遺研会報 2010年~

私鉄要覧 1958年~1976年 日本法制資料出版社→電気車研究会鉄道図書刊行会 /
地方鉄道及軌道一覧 昭和10年~18年 鉄道同志会 / 電気鉄道事業営業統計書大正13年~昭和11年 電気協会関東支部

私鉄統計年報 1957年~

自動車及交通運輸 1919年~1922年 帝国自動車保護協会

車両技術 1955年~1999年(限定公開) 日本鉄道車輌工業会

車輛工学 1950年~1986年 車輛工学社

車両と電気 1952年~1993年 車両電気協会

信号保安 1946年~1990年 信号保安協会

大日本鉄道雑誌 1889年~1890年 鉄道雑誌社

帝國鉄道協會會報 1899年~1937年 帝國鉄道協會

地図情報 1981年~2000年 地図情報センター

鉄道 1896年~1897年 鉄道雑誌社

鉄道 1915年~1923年 鉄道共攻会

鉄道軌道経営資料 1939年~1942年 鉄道同志会

鉄道局年報 明治26年~40年 逓信省鉄道局

鉄道工場 1948年~1987年 レールウエー・システム・リサーチ

鉄道省鉄道統計資料 大正9年~14年 鉄道省

鉄道統計月報 1947年~1978年 日本国有鉄道経理局審査統計課

鉄道統計年報 昭和21年~昭和58年 日本国有鉄道事務管理統計部

鉄道技術研究資料 1957年~1984年 研友社

鉄道と電気技術 1990年~ 日本鉄道電気技術協会

電気車の科学 1948年~1994年(限定公開) 電気車研究会

電車 1987年~1997年(限定公開) 交友社

東急車両技報 1990年~ 東急車輛製造技術開発室

東芝レビュー 1946年~2000年 東芝技術企画部

東洋電機技報 1976年~2000年 東洋電機製造

東洋電機技報 2000年~2016年 東洋電機製造

都市と交通 1983年~ 日本交通計画協会

土木技術 1940年~1944年 土木技術社

土木技術研究所報告 1959年~1970年 東京都土木技術研究所

トランスポート 1970年~2000年 運輸振興協会

日本工業要鑑 明治40年~昭和16年 工業之日本社

日本鐵道一覽表 明治25年,明治27年 逓信省鉄道局

日本鉄道施設協会誌 1987年~2000年 日本鉄道施設協会

日本地下鉄協会報 1982年~ 日本地下鉄協会

汎交通 1937年~2000年 日本交通協会

日立評論 1922年~2000年 日立評論社 (自社Webにて1950年~2023年も閲覧可)

富士時報 1940年~2000年(図書館限定) 富士電機技術開発本部

自社Webにて 富士電機技報 1924年~現在

船の科学 1948年~2000年 船舶技術協会

保線年報 1953年~1962年 日本保線協会

三菱電機 1934年~1962年 三菱電機

三菱電機株式会社研究所ニュース 1959年~1963年 三菱電機研究所

内外交通研究 1940年~1942年 交通研究所


趣味雑誌

鉄道ジャーナル 1967年(創刊号)~2000年 鉄道ジャーナル社 (2024/09時点では国会図書館内のみ)

鉄道ピクトリアル 1951年~2000年 電気車研究会 (2024/09時点では国会図書館内のみ)

(2024/09時点では鉄道ファンは 収録されていない)


個別企業の単発資料

50年のあゆみ 1960年 近畿日本鉄道

運輸五十年史 大正10年 運輸日報社

日本国有鉄道大宮工場 七十年史 1965年 日本国有鉄道大宮工場

汽車会社蒸気機関車製造史 1972年 交友社

京成電鉄五十五年史 1967年 京成電鉄

帝国鉄道年鑑 昭和3年版 別バージョン 帝国鉄道協会出版部(他の年のものが見当たらない?)

鉄道80年のあゆみ : 1872-1952 日本国有鉄道

鉄道辞典 1958年,1966年 日本国有鉄道

鉄道技術発達史 1958年 日本国有鉄道

電気鉄道技術発達史 1983年 鉄道電化協会

東武鉄道六十五年史 1964年 東武鉄道

写真で見る東武鉄道80年 : 明治、大正、昭和三代の変遷 1977年 東武鉄道

富山地方鉄道五十年史 1983年. 写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み 1979年 富山地方鉄道

名古屋鉄道社史 1961年 名古屋鉄道

名古屋鉄道百年史 1994年(限定公開) 名古屋鉄道

新潟鉄工所七十年史 1968年 新潟鉄工所

日本鉄道史 1921年 鉄道省

日本国有鉄道百年史 1969年~1974年 日本国有鉄道

日本鉄道建設公団十年史 1974年 日本鉄道建設公団

驀進 : 日本車輛80年のあゆみ 1977年 日本車輛製造

日車 : 目でみる70年史 1966年 日本車輛製造

日立製作所史 

亀戸工場50年のあゆみ 1960年 日立製作所亀戸工場


その他

史跡をたずねて各駅停車シリーズ 1986年~1988年 鷹書房

国鉄の車両 1~20 1984年 保育社

世界の鉄道 昭和37(1961)年版~1983年版(限定公開) 朝日新聞社

日本の私鉄 1~30 1980~1984年 保育社

私鉄の車両 1~24 1985年 保育社

鉄道交通全書 第1~第20 昭和10年ごろ 春秋社

明治村 : 博物館 明治村

旅行100年 : 駕籠から新幹線まで 1968年 日本交通公社

我国の鉄道車輛工業 1950年 コロナ社

鉄道の実際知識 岩崎磯五郎 春秋社 (昭和11年頃の情勢について)

図説日本蒸汽工業発達史 ワツト誕生二百年記念会 昭和13年

散歩 2023/05/28 櫛かんざし美術館最終日訪問、青梅市郷土博物館、青梅きもの博物館

櫛かんざし美術館が2023年5月28日を最後に休館する、というツイートを見て行ってみるか、と実施。

青梅で他にある博物館は?と調べて見る

というわけで、9時の開館狙いで青梅郷土博物館に行って、そこから11時のギャラリートークに間に合うように櫛かんざし美術館に行くこととした。

原神 2022年03月

JR東日本常磐線の駅キャラ渾天スト

なお、結果

トイレのサイホン管が壊れた

羽田散歩 2022年03月17日